お便り/11月号の未掲載分

ぜんざい・よもやま話し

ジミー狩野(牧男)84歳  カナダ・トロント

 突然、「180人分の ”ぜんざい” を作ってもら貰えませんか?」こんなお願いをされてしまった。 仕事も趣味の釣りまで、何もかも全部引退してしまったヨボヨボの隠居ジジイの私にだ。 こんなことは85年も生きてきて初めての経験だ。いくら甘党の私だって、後にも先にもこんな大量の「ぜんざい」なんか作ったことなどない。 断ろうかと思ったが、相談して来た相手は妙齢のご婦人。しかし、私は若い女性にはめっぽう弱い。断る理由が見つからないのだ。
 じつは、私が居住しているトロント日系老齢施設の「モミジ・レジデンス」では、ほぼ一年中、毎日何かしらの行事がある。 9月27日には「モミジ・敬老祝賀会」と言う、人生の大先輩を敬い、長命に感謝する日であり、沢山のステージ・パフォーマンスも用意されている。しかし、楽しみは一堂に集まってお祝いのご馳走を頂くことだ。 その大切な食後のデザートに「ぜんざい」が決まり、それを作る料理担当は私に白羽の矢が当たってしまった。 しかし、180人分という多量の「ぜんざい」もさることながら、ここに居住されている方は日本生まれの方が多い。しかし、日本生まれの方でも出身地は各地に散らばる。カナダ生まれの方もおられる。みんな2世、3世の方達だ。ちなみに、トロントの日系カナダ人と呼ばれる人の中には6世も7世もいると聞く。 さて、日系2世、日系3世の方、あるいは日本人と結婚した日本人以外の方もいる。しかも、みなさんご高齢なので「餅や白玉粉」は初めから使用厳禁のお達しが担当者から申し渡された。 その代わり、栗ぜんざいと言うことになっていたが、中国製の天津甘栗を使用するという。 私は「栗の甘露煮」を自作することも考えた。意外と栗の甘露煮は簡単に作れる。栗と砂糖、味醂と水さえあれば出来るのだ。しかし、皮剥きに手間暇がかかる。それとこの時期は生栗が手に入らない。 (じつは、こんな時、余計な口出しすると仕事の量が増えるのを長年の経験で知っている。)オーガナイザー(担当者)の言われるままに中国製甘栗を使った「栗ぜんざい」の「天津甘栗派」に黙って私は従った。 ところが、中国製の甘栗は色が悪いので、サンプルの栗を見ただけで即却下。 「かぼちゃぜんざい」も考えたが、カナダのかぼちゃは水分が多すぎてこれもダメ。 結局、最終的にさつまいもを使うことになった。 早速、私のレシピで20人分の「銀座あけぼの風ぜんざい」を注文通りに試作し関係者に試食して貰った。 「銀座あけぼの風」の「ぜんざい」と、冗談で注文された時はびっくりした。じつは、私が銀座で働いている頃、銀座5丁目のすずらん通りにあった「銀座あけぼの」の「ぜんざい」をよく食べに行っていた。でもみなさんには「銀座あけぼの」を知っていることは内緒にしている。 ところで、試食して貰った「ぜんざい」は私も「銀座あけぼの」を思い出しながら真似して作ったものだった。
 閑話休題だが、みなさんは「ぜんざい」と「おしるこ」の違いをご存知だろうか? 東京周辺では、汁気が多い時は「おしるこ」、汁気が少ない時は「ぜんざい」と呼ぶようだ。 また関西では、こしあんを「おしるこ」と呼び、粒あんを使ったものを「ぜんざい」と呼ぶそうだ。 「御汁粉」に粉の字が入るのは、こし餡から水分を飛ばし粉末状にしたものを使うので「おしる粉」と言われる所以。 しかし、江戸時代の「おしるこ」は塩味だったのをご存知だろうか。当時は砂糖を使わず塩味で「酒のつまみ」としての酒の肴だったようだ。 私が生まれ育った宮城県北部では、「お汁粉」は「こし餡」を晒して作り、「ぜんざい」はもっと餡子のように水分の少ない「粒あん」を使う。(私の田舎では、お正月に雑煮と一緒にお汁粉や「あんこ餅」を食べる風習がある。その他にも数種類の甘いお餅が正月のお膳を飾っていた。それらをお袋が数日前からお正月用に晒し餡を作っていたのを思い出す。) 私は東京暮らしが長かったせいか、「ぜんざい」もお汁粉と言っていた。「ぜんざい」というと田舎臭いと思われたからだ。じつは、粒あんを使った「銀座あけぼの」の「ぜんざい」も「田舎汁粉」と呼ばれていた。こし餡の場合は、「御前汁粉」と呼ぶので上品な感じがする。 また場所によっては、「亀山」や「金時」と呼ぶところもある。餅が入れば「ぜんざい」になり、白玉粉を使えば「おしるこ」と呼ぶところもある。北海道では餅や白玉粉の代わりに「かぼちゃ」を入れるそうだ。 「ぜんざい」の語源は、仏教用語で「善哉」と書き、意味は「よきかな」とか「素晴らしい」という意味だ。 あるお坊さんが初めて「ぜんざい」を食べ、あまりのおいしさに「善哉」(ぜんさい)と叫んだとか。 なお、「晒し餡」は忍者の携行食。 甲賀流でも「兵粮丸」(ひょうろうがん)、飢喝丸(きっかつがん)、水喝丸(すいかつがん)が有名だが、伊賀流でも「堅焼き」や「伊賀米粉」、などと一緒に「伊賀晒餡」なども伊賀流忍者の携行食で、それが発展し和菓子が誕生したそうだ。 (2024年4月号「忍びの隠れ蓑(みの)」をご覧ください。伊賀流服部半蔵の末裔・服部家14代目の服部吉右衛門亜樹君は私の親友です。) 「ぜんざい」も「お汁粉」も、日本全国つづ浦々で様々な呼び名があり作り方も違うようだ。 特に沖縄では、「ぜんざい」にかき氷を添え冷たくして食べるとか。ぜんざいのかき氷は沖縄が発祥かも。また砂糖の代わりに黒糖を使い白玉粉の代わりに押し麦を使うのが沖縄流だ。しかも、小豆ではなく、漢方でも使われる「緑豆」を使っていた。しかし、戦後米国から「金時豆」が入ってくるようになり、今でも金時豆を使ってるらしい。(沖縄出身の友達に聞いてみようと思う。) ところで、モミジ・レジデンスのイベントで、私はよくボランティアで食べ物関係のヘルプをしているが、いつか、「ぜんざい作り」の後日談とか「私の料理修行」でも書きたいと思う。