お便り/2月号未掲載分

カナダ生まれの日本食

ジミー狩野(牧男)85歳  カナダ・トロント

 永野萬蔵がカナダ・バンクーバーに定住し日本人のカナダ移民第一号となったのが1877年(明治10年)。それ以前にも漁船が難破し日本人がカナダに漂着したり、また何らかの理由で日本人がカナダに来たらしいが定かでない。だが、永野萬蔵がバンクーバーに定住して以来カナダの日本人移民たちは増え続け、味噌と醤油が欠かせないものとなった。ちなみに、北米大陸へ味噌と醤油を最初に持ち込んだのは、1860年に日米修好通商条約批准のため「咸臨丸」でやって来た使節団と言われている。「咸臨丸」がサンフランシスコに寄港した際、すでにチャイナタウンには豆腐屋があり、使節団たちは中国人から豆腐を手に入れて豆腐の味噌汁を作ったと言われている。(注;1860年は江戸時代末期の「万延元年」で桜田門外の変があった。)なお、最初に日本人がハワイにやって来たのが1868年(明治元年)とされているが、次第に日本人のハワイ移民が増え味噌や醤油の需要が増え、日本人移民と一緒に味噌や醤油も運ばれてくるようになった。しかし、当時の船旅では時間がかかるため、味噌や醤油は腐敗しやすく輸入するのが大変難しかった。日本食料品がカナダにやって来たのは、日本の品物を輸出する商社が横浜に出来た1890年(明治23年)以降のこと。やはりカナダの日本人移民にも味噌や醤油は欠かせず、1908年(明治41年)にカナダ・バンクーバーに日本醤油製造会社が出来た。また醤油は北米の食文化の発展にも貢献してきたと言っても過言でない。(その頃には、バンクーバーの日本人移民の数が18,000人以上に達していたという。)やがて日本からの輸出入が盛んになり、バンクーバーには日本人街も出来て日本人には欠かせない日本食料品や調味料はほぼ何でも手に入るようになっていた。本誌2022年(令和4年)8月号で既に紹介した樽詰めにした沢庵を日本からカナダに輸入し、その空樽を利用し塩漬けした鮭や筋子を日本へ逆輸出したのが「沢庵貿易」だった。当時、カナダ人が見向きもせず犬の餌にするか或いは全部捨てていたチャム・サーモン(白鮭)と筋子を、塩漬けにし樽詰めにしたものを日本へ輸出して巨万の富を築いた宮城県登米市出身の佐藤惣右衛門氏と及川甚三郎氏の話は特に有名だ。このように明治初期から戦前の日系移民たちは日本食品を現地で生産し、造れないものはすべて日本から輸入していた。しかし、1941年(昭和16年)12月8日、真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まり開戦と共に事態が一変した。太平洋戦争開戦と同時に日系食品の現地生産や日本からの日本食品の輸入が完全に絶たれてしまった。カナダに住んでいた日系人たちは太平洋沿岸から遠く離れたロッキー山脈の内陸部にある強制収容キャンプ地へ総移動を命じられ、彼らがブリテッシュコロンビア州で所有していた家屋財産や1200隻以上の漁船などはすべて没収されてしまった。だが、収容所にいても畑を耕し野菜を育て、豆腐や味噌と醤油を作り、日本人の飽くなき探求心や創意工夫で、何もない乏しく限られた食材を使い試行錯誤しながら数々の日本食が誕生した。カンバーランド炭鉱で考案された焼きそば「カンバーランド・チャウ・メイン」や醤油と砂糖で味付けした「かりんとう」胡瓜をビールと味噌で漬けた「ビヤ漬け」またニュー・デンバー収容所で発明されたタクワンの「デンバー漬け」などが有名だ。特に、デンバー漬けは発酵ではなく酢を使い保存し、味、色、食感と共に本物のタクワン漬けそっくりの逸品で、現在でもカナダ日系人の間ではポピュラーな漬け物だ。ところで、終戦後、収容所で生まれた数々の日本食品は代々受け継がれ、カナダ日系二世、三世の作る和食を見れば収容所生まれの和食の生い立ちがわかる。また、カレーライスを「カレーゴハン」、チャーハンを「ベーコンメシ」と未だに呼ぶ二世もいる。筆者も55年前カナダ移住直後は日本食品が簡単に手に入らず、一世の方たちから手ほどきを受けながらなんでも手作りをした。まず、手打ちうどんや蕎麦はワインの空き瓶を麺棒がわりに利用して作った。(注;カナダは日本への蕎麦の最大輸出国と言われている。)また自生していたプラム(すもも)を熟す前に摘み取り、塩漬けしたのを天日に干してから赤紫蘇で漬けてカリカリ梅に仕上げた。(不思議と赤紫蘇は至る所に自生していた。)一世の人に習った味噌作りは今でも続けており、カナダに移住して以来我が家では味噌を買ったことがない。(仙台味噌の作り方は、仙台の佐々重様のホームページで学んだ。麹も手作りだった。)その他、豆腐、納豆、こんにゃく、昆布佃煮など。特に昆布佃煮は美味しいので頻繁に作り続けている。さて、1970年頃からトロントでも握り寿司が流行り出したが、寿司がポピュラーになるとさまざまな創作寿司が出現した。その中でも「カリフォルニア・ロール」は変わり巻きの「記念すべき第一号」として有名だ。カナダで生まれた「カリフォルニア・ロール」は1974年頃バンクーバーの東條英員氏が考案したそうだ。それ以降さまざまな創作寿司が誕生しているが、その進化のとどまるところを知らない。昔トロントで日本料理と言えば、寿司、天ぷら、照り焼きが代名詞だったが、最近日本人には想像し難い「スシロール」という海苔巻きがポピュラーで、独自の進化を遂げている。ところで、みなさんは「寿司ピザ」をご存知だろうか。ネットで検索すると「トロントで発祥したと言われる寿司ピザだが真相がはっきりせず、謎に包まれたまま」とある。じつは、1985年頃から私はトロントの「波レストラン」で料理の修行を始めた。(2024年12月号「料理と私」を参照)その頃、残った寿司シャリを捨てていたがもったいないとそれを創意工夫して完成させたのが寿司ピザだった。ただ、当時料理長だった橋本氏は、京都で修行した懐石料理専門の料理人で、厳格に日本料理の伝統を頑なに守る人だった。邪道の寿司ピザを正式に発表できない理由がそこにあった。今後、日本人の創意工夫と食文化の発展によってますます進化を続けるカナダの日本食に期待したい。