お便り/6月号の未掲載分
驚異的な103歳
ジミー狩野(牧男)84歳 カナダ・トロント
高田美代さんが忽然と施設から姿を消した。 彼女は私たちと同じトロント日系老齢施設「モミジ・レジデンス」に入居している。 しかし、施設では個人情報を内密にし、スタッフや医療関係者は誰も口外しない。同じ入居者でも個人の動向を計り知ることはなかなか難しい。 やっと彼女と連絡がついた時には、探し始めてから数日が経っていた。 なんと彼女は病院に入院しているではないか。しかも腹部を9針も縫う大手術を受けていたという。 102歳の身体でだ。 ことの発端は、2022年11月30日の夜のことだった。 私たち夫婦は彼女と連絡が取れなくなり気に病んでいた。それが腹部の大手術と知って動転してしまった。 じつは、彼女が入院する前日、私たちは彼女が大好物だという鯖寿司を作り届けていた。 れが原因でお腹を壊したのかと、遣る瀬ない気持ちで過ごしていたのだ。 ところが、病名を知って更にびっくり仰天してしまった。なんと末期の大腸癌だった。 しかも、リンゴ大の腫瘍が大腸を塞いでいたという。 悪いことにその癌は腎臓と肺にも転移していた。 3名の当直医と専門外科医やナースたち関係者が緊急招集された。その中に息子の J さん(77歳)も加わり手術をするかどうかで急遽話し合いが行われたそうだ。 しかし、その様子を察知した髙田美代さんは気丈にも専門の外科医にすぐ手術をするように懇願したという。 夜半を過ぎているにも関わらず緊急大手術が始まった。 執刀医はアラブ系のモハメッド・タバリ外科専門の医師だ。 102歳の身体には到底無理と思われる手術を、高齢を理由に反対する医師たちもいたが、美代さん個人の強い意思で数時間にも及ぶ大手術が行われ奇跡的にも手術は成功したのだった。 即座に手術を決断した背景に、髙田美代さんは20代の頃に看護師として働いていた経験から医学的知識があったのだと思う。 ドクターたちから様々な意見も出たが、最終的に執刀医の判断で転移していたはずの腎臓と肺の癌は影響が少ないだろうとそのままになった。 手術後順調に回復し、入院4ヶ月で退院した髙田美代さんはすっかり元気を取り戻し、食欲も旺盛で103歳になった今でも施設内を元気に歩き回っている。もうすぐ104歳になる。 なんという驚異的な103歳だ。 強い生命力には彼女の波瀾万丈な生き方が影響しているようだ。 高田美代さんは1920年(大正9年)カナダ・バンクーバー生まれの2世だ。 彼女は9人兄妹の次女として生まれ、4歳の時両親と別れ単身日本へ行く。鹿児島県では祖父母に育てられたという。 20代を迎える頃には東京の看護婦養成所を卒業し看護婦となった彼女は、当時北京で事業をしていた叔父の勧めで中国へ行き、北京の大きな病院で医務局の看護婦として勤務することになる。 彼女は今でも当時の記憶をはっきりと思い出すそうだ。 その頃、北京では「夜来香」が大流行していたという。 当時の北京では、地元住民が所構わず排泄するので不衛生なこと極まりなかったそうだ。 ある時は、お茶の入れ方が大変上手だと日本軍最高幹部の宇垣大将に褒められ、それが機縁となって職場では給料も上がり栄進したという。 25歳の時、北京で結婚した彼女は贅沢で大変幸せだった暮らしが忘れられないという。 やがて終戦を迎えやっとの思いで日本に帰還し、一男一女をもうけるが女児を亡くす。 また連れ添った最愛の夫とも死別し、彼女が45歳の時息子を日本に残したまま、約40年振りに単身カナダに戻る。 息子さんは18歳の時、母親を頼って1966年にカナダに来たという。 ところで、髙田美代さんは日本に帰還してからあまりの不幸続きで、「玉利美代」から旧姓の「髙田美代」に戻ったという。しかし、なんという偶然だろうか、手術の執刀医の名前はドクター・タバリという。 タマリとタバリで、呼び名が同じように聞こえる。 これは単なる偶然だろうか? 不思議な巡り合わせだ。 私たち夫婦は美代さんと、この施設に入る前からもう30年以上お付き合いをさせていただいている。 髙田美代さんにはこれからもギネス級のその強い生命力でいつまでも元気に長生きして欲しい。 (了) (註:この記事はご本人とご家族の承諾を得て執筆しました。)