お便り/オタワの奇跡
F夫人がモミジ・レジデンスに入居してきた。97歳になられたそうだ。ご主人は20年前に他界され、私はそのご主人と縁あって約50年以上前から氏が亡くなるまでお付き合いをさせていただいた。
先日、モミジ・レジデンス内にある「モミジ・カフェ」で偶然 F夫人にお会いし、しばし昔話に華が咲いた。そのお話の中で、F夫人は「トロントへ来てからどうして主人が急に釣りが好きになったのか未だに不思議です。」と、おっしゃっていた。
じつは、その経緯を私はよく知っている。そのご主人は、50数年前、日本の大手商社「M」のカナダ・トロント本社の社長さんとして赴任された。F氏が魚釣りに興味を持ったのには訳があった。ある日、魚釣りが趣味の私のところに相談に来られ、トロント周辺の釣り場や生息する魚などをいろいろと尋ねられた。じつは、F氏の友人が釣りをしにカナダに来るという。F氏もしばらく友人に同行するので、この際、釣りのことを少し学んでおきたいということだった。私は驚いた。なんとF氏の友人とは、あの著名な作家の開高腱氏だった。開高腱氏は、朝日新聞社の後援で「南北両アメリカ大陸縦断釣行記」を執筆するため、途中カナダに立ち寄ることになったという。私は当時のトロント・プリンスホテルで開高健氏を紹介された。ちょうどオンタリオ州最北端のハドソン湾の近くまで北上するという前の夜だった。
オンタリオ州にはマスキーという獰猛で超巨大な魚が生息している。しかし、滅多に釣れないことから当地の釣り師の間では幻の魚と称されている。開高健氏もやはりこの巨大魚マスキーを釣りにトロントを訪れた。マスキーは、「釣り五千時間、キャスト一万回に一度」釣れるかどうかと、言われるほど難しい魚だ。開高健氏のカナダ滞在期間は約二週間だ。北部オンタリオ州でのマスキー釣りは不調だった。それからオンタリオ州ヒューロン湖のジョージアン・ベイ、セント・ローレンス河のガナノクエとマスキー釣りのメッカを回られた。だが釣りの女神は微笑んではくれなかった。
そして旅程最後の目的地カナダの首都オタワへとやって来た。近代的なオタワの街の中には運河がある。これはオンタリオ湖畔のキングストンからオタワを結ぶ運河だ。正直なところ、運河では船の航行が多くあまり釣りには適さない。しかし開高健氏は敢えてマスキー釣りに挑戦した。
ところが、誰も予想もしなかったその運河でついに念願のマスキーを仕留めた。30ポンド(約14㎏)の大物だ。その時のことを「オタワの奇跡」と称され地元の新聞や雑誌でも紹介された。開高腱氏もその時のことを「オタワの奇跡」として詳しく著書、写真集「もっと遠く!」の中で書いている。
開高腱氏は、キャッチ・アンド・リリース、釣った魚は必ず放流する主義だったが、この時のマスキーだけはこれを曲げて、このマスキーを持ち帰り剥製にして長く書斎の壁に飾っていたそうだ。F氏も開高氏の影響があってか、それ以来釣りの虜になってしまった。
ところで、開高健氏の邸宅は湘南茅ヶ崎にある。余談になるが、私の青春時代は湘南平塚海岸で過ごした。茅ヶ崎は平塚の馬入川(相模川)を挟んで隣町だ。当時私は開高健氏の邸宅の前を何度も通っていてよく知っている。モミジ・カフェでF夫人にお会いし、時間を超えて当時の記憶が走馬灯のように蘇って来た。いつか、ゆっくりとF夫人にご主人が釣りを始められた経緯や「オタワの奇跡」をお話ししたいと思っている。
狩野牧男82 カナダ・トロント
(編集長のつぶやき)開高健さん、筆者が若い頃に『オーパ! 』などを読みました。テレビやCMにもよく出られていた、当時の〝時の人〟。凄いエピソードです。
私は1997年10月にオンタリオ湖の東部セント・ローレンス河で、当地釣り師の間では幻の魚と称される巨大魚「マスキー」(和名カワカマス)を釣り上げました。体長145cm、重さ22kgあり、当時(1997年度)北米最大の淡水魚と認定されました。この記録は未だに破られておりません。なお、当地では新聞、雑誌、テレビなどで取り上げられ、日本でも朝日新聞で紹介され、時事通信でも配信され、日本各地の地方新聞などでも紹介されました。(私の生まれ故郷の「大崎タイムス」でもこの巨大魚が紹介されました。)