お便り/タクワン貿易
みなさんは「タクワン貿易」という言葉をご存知だろうか。 明治、大正、昭和初期、樽詰めにした沢庵(たくわん)を日本からカナダに輸入し、その空樽を利用して塩漬けにした鮭と筋子をカナダから逆に日本へ輸出したそうだ。これを「タクワン貿易」と言う。 その昔、カナダ人はシロザケ(Chum Salmon)を誰も食用とはせず、犬の餌(ドッグサーモン)と称してシロザケは丸ごと全部捨てられていた。それに目をつけ、それを日本へ輸出することを思いついた人物が佐藤惣右衛門と及川甚三郎の両氏だ。彼らは現在の宮城県登米市東和町出身。カナダの日本人移住者仲間では、タクワン貿易で巨万の富を築いた人物として有名だ。
その佐藤惣右衛門氏にまつわる記事が2022年5月13日付けの河北新報に掲載され、仙台市在住で私の知り合いのM氏がわざわざその新聞の切り抜き記事を送ってくれた。 それには、佐藤惣右衛門氏の伝記小説が完成したニュースのほか、パートナーとして事業を展開した及川甚三郎氏の話など、特にフレーザー河のドン島(及川島)やライオン島(佐藤島)など、この話は実に興味深い。彼らは日本人カナダ移民のパイオニアとして現在でもトロント日系文化会館のホールに「日系人カナダ移民のパイオニヤ達」として讃えられ写真やパネルなど移民の歴史と共に展示されている。及甚と呼ばれた及川甚三郎氏が郷里宮城から同胞83名を密航船でカナダへ連れて来た話は新田次郎著の小説「密航船・水安丸」でも有名だ。この時代に活躍した同じ宮城県石巻出身のアラスカのモーゼと称されたフランク安田こと安田恭輔氏のことはきっと彼らも耳にしていたことだろう。この話も新田次郎著の「アラスカ物語」として有名だ。
しかし、太平洋戦争勃発で当時カナダに住んでいた日本人移民は「敵性国民」として排斥され全員カナダ内陸の奥地ゴーストタウンへと連行されてしまった。1942年にカナダ政府は戦時措置法を実施し、敵視された日本人への社会的差別、人種的差別は大変激しく彼らの名声も財産もすべて根こそぎ剥奪されてしまったのだ。 このような艱難辛苦を乗り越えた先人たちの努力のお陰で、現在カナダに住む私たち戦後の日本人移住者たちがカナダで安泰に幸せな生活を送ることが出来る。 日本人移民の活躍を知り日本を後にした者は私一人ではあるまい。
狩野牧男82 カナダ・トロント
(編集長のつぶやき)私も登米市東和町米谷の出身なんですが、知らないことばかりでした。余談ですが、現在、「不老仙館」という観光施設になっている建物には、筆者が子どもの頃、両親がよく挨拶に行っていました。というのは、二人を結びつけたのがこちらの佐藤家の奥様だったからです。ちぐさ美容院という美容室を営んでいた母に、お客様として来ていらした奥様が父をご紹介してくださったそうです。