お便り/1月号の未掲載分

トロント秋の風物詩「カナダの熊にまつわるお話し」

ジミー狩野(牧男)85歳  カナダ・トロント

 カナダ西部ブリテッシュ・コロンビア州(B.C.州)で、グリズリーベア(ハイイログマ)の襲撃が世間を騒がせている。日本では、毎日のようにどこかで熊が現れ人的被害も発生しているようだが、カナダでは、11月20日(木)(2025年)B.C.州のベラ・クーラという町(バンクーバー北方直線距離で461.4km) で小学4年生と5年生の生徒たちと引率の3人の先生方を含む20名が、フィールドワーク(校外活動)で昼食のための休憩中にグリズリーベアに襲われ重傷2人を含む11人が負傷した。しかし、カナダで熊が人間の集団を襲うのは極めて稀なことだそうだ。このグリズリーベアの襲撃で、3人の先生方は生徒たちの命を守ろうと決死の覚悟で大熊に挑んだという。今や熊の被害は日本だけに留まらず、カナダでも社会問題になっている。
 ところで、私にも熊にまつわる思い出話は数えきれないほどある。じつは、予期せぬたった一本の電話から始まったのがこのストーリーだ。それは日本からのまったく奇妙な電話だった。「熊と人間を戦わせたい。」なんとも気狂いじみた内容だ。しかもそれは日本の ”テレビ東京” 系列全国ネットワークのテレビ番組のために制作をしたいというものだった。当時、私は「カナディアン・アウトドア・アドベンチャーズ」(Canadian Outdoor Adventurs)を運営し、メディア・コーディネーターのアウトドア関連とくに釣りのガイドをしていた。まさか熊と人間を戦わせる仕事が舞い込むとは予想だにしていなかった。この撮影で、熊と戦うためにカナダのトロントまで遥々日本からやって来たのは、日本では超有名なプロレスラーで格闘家の藤原喜明さんだった。もう一人、当時私はまだ名前も知らぬ駆け出し中のTVお笑いタレント出川哲郎さんだった。彼は付き人役で登場した。 (注;「藤原喜明vs熊 Bear u-tube」とyahooで検索していただきたい。実際に藤原さんと熊が格闘し、当時私がテレビ番組のために制作したその映像が観られると思う。なお、この撮影のことは本紙「みやぎシルバーネット」”ウエブ特典” の2025年7月号「トロントは北のハリウッド」でも紹介した。) 後日談として、この全国ネットワークでのテレビ放映は大成功し、高視聴率を出して大変な人気だったという。気をよくした日本のプロダクションでは、この続編をどうしても日本で開催したいとトロントの私へ連絡して来た。しかも「同じ熊を日本へ連れて来て欲しい」という要望だった。場所は広い横浜アリーナを予定しているという。ところが、トロントでは地元新聞が大々的にこれを報道したため、噂をかぎつけたカナダ動物愛護協会(The Canadian Federation of Humane Societies)から猛烈な横槍が入り、とうとう中止に追い込まれてしまった。カナダの動物愛護協会は想像以上に手強い相手だった。
  さて、カナダにはどんな熊が生息しているか皆さんはご存知だろうか。カナダ全土には4種類の熊が生息している。まず有名なのが、つい先日B.C.州で学童を襲ったハイイログマ(通称グリズリーベアで、平均体重200kg ~ 300kg稀に500kgに達することもある。)、アメリカン・ブラックベアー(アメリカ黒熊、じつはカナダが原産で平均体重は100kg ~ 200kg)、ポーラーべア(北極白クマ、平均体重は300kg ~ 600kg、立ち上がると3m以上の個体も)、そしてカーモードベアーだ。ただし、このカーモードベアはクロ熊の亜種で(アメリカ黒熊と体格はほぼ同じ)昔から先住民たちに「スピリット・ベア」(精霊のクマ)として崇められてきた。これは、体毛がホッキョクグマのように真っ白なクマで大変貴重なクマだ。じつは、歴史上先住民族の精霊のクマとして代々保護されてきた。推定約400頭だけが現在カナダ・ブリテッシュ・コロンビア州の北限で、人の目が届かない原野の奥深い所で生息しているという。なお、野生動物の数が人口を遥かに上回るカナダでは、クマが繁栄しているのは当然のこと。実際、全世界のクマの約60%がカナダに生息しているというから驚く。 ところで、私の住んでいるカナダ・オンタリオ州には、ポーラベア(北極熊)の保護地域で「ポーラベア州立公園」がある。(といってもトロントから何千キロも遠く離れた原野だが・・・)そこはオンタリオ州の最北端でハドソン湾の沿岸に手付かずの広大なツンドラ地帯が広がっている。ホッキョクグマは、冬の間、氷で覆われた氷原でアザラシを捕ったり、子育てをして過ごすが、夏の間は陸上で行動する。ハドソン湾の凍結した 氷上からオンタリオ州の陸地に辿り着いた後で春になり、氷が解けて北極海に戻れなくなったホッキョクグマたちはこの「オンタリオ州立ポーラベア・パーク」一帯に留まることになる。やがて北極海に冬が近づくとホッキョクグマたちは一斉に西へと移動する。それはマニトバ州のチャーチル(Churchill)という町(注;この町はホッキョクグマ見学が出来ることで有名。)の周辺へと集まるためだ。ホッキョクグマたちはその場所がハドソン湾内で最初に氷が凍結し、氷上を歩いて北極海へ戻れることを知っているのだ。また傷ついたり病気のホッキョクグマたちや母グマとはぐれ孤児になった子熊たちを保護する施設がオンタリオ州のコクレン(Cochrene)という町に完備されている。そこはオンタリオ州でも車で行ける最北端の町だ。カナダ政府の発表では現在約16,000頭のホッキョクグマがカナダ領に生息しており、世界中のホッキョクグマ(推定約26,000頭)の2/3がカナダ国内に生息しているという。なお、アラスカとアメリカ合衆国本土を除くカナダの太平洋沿岸からロッキー山脈の間には、グリズリーベア(ハイイログマ)がこれも推定約26,000頭以上カナダ国内に生息している。
 さて、カナダ・オンタリオ州々政府自然環境省の発表では、オンタリオ州の北限ハドソン湾から南のアメリカ合衆国の国境まで、オンタリオ州々内の原野と森林のほぼ全域に推定約7万5000頭から10万頭以上のアメリカン・ブラックベアー(アメリカ黒熊)が生息していると発表している。(ただし、オンタリオ州にグリズリーベアは生息していない。)北米大陸でカナダのオンタリオ州にはアメリカン・ブラックベアの生息数がとくに多く、オンタリオ州はアメリカン・ブラックベアー(アメリカ黒熊)の王国と言われている。しかし、オンタリオ州の先住民たちは何百年もの間、ブラックベアたちと共存してきた。だが、ヨーロッパ人たちが入植して以来その関係は非常に複雑で、アメリカン・ブラックベアの歴史を考えるとそれはあまりにも悲惨なものだった。 じつは、近年になって、1942年から1961年までオンタリオ州のアメリカン・ブラックベアは、オンタリオ州内のオオカミに適用されていたものと同様に獣害として補償金制度の対象になっていた。住民の大多数はクマを害獣と見なし、子熊には5ドル、親熊には10ドルの補償金をオンタリオ州政府から喜んで受け取ていたのだ。(当時の$1.00 CNDは¥365.00ぐらいだった。) やがて、1961年に補償金制度は撤回され、クマは狩猟動物に指定された。しかし、狩猟制限や禁猟期は導入されず、住民は単に許可証を購入するだけだった。 1980年代になってオンタリオ州当局はついに住民の反対意見を考慮し、狩猟期(春と秋)を限定し、捕獲数を制限するなど、より厳格な管理方法を導入することになった。
 じつは、オンタリオ州で熊狩りの補償金制度が撤回された背景には、あの「クマのプーさん」の話しが世に出てからで、カナダ動物愛護協会(CFHS)のブラックベアの保護活動家たちの狩猟反対運動がますます盛んになり撤回に追い込まれたと聞く。本紙2024年(令和6年)1月号に掲載された「世界一有名なクマの話し」をもう一度ご覧いただきたい。1961年になって、ウォルト・ディズニー・プロダクションが、「クマのプーさん」の物語を映画化したことにより世界中で大変な評判になり、オンタリオ州では、アメリカン・ブラックベアを保護する世の機運が一段と高まったのだった。ちなみに、ブリテッシュ・コロンビア州では2017年にグリズリーベア(ハイイログマ)狩りが、つい8年前に禁止されたばかりだった。 さて、私はトロントに住む日系人として、オンタリオ州ではただ一人オンタリオ州々政府観光省と自然環境省よりメディア専門コーディネーターとして原野や北極圏でのガイドを公認されていた。仕事柄、頻繁に人跡未踏の原野や北極圏に飛んで行った。当然クマの王国へ人間がお邪魔するのだ。野生の熊には数えきれないほど遭遇してきた。しかし、カナダでの「クマ対策」に関する市民の意識が、日本とはちょっと違うような気がする。とくに、カナダでは、クマが街やキャンプ場に現れることは珍しくない。だがクマが出没したからといってすぐに駆除されることはほとんどなく、「森へ戻す」というクマと共存の考え方が基本のようだ。クマが現れれば専門の野生動物管理官(Park Ranger)やウエダネス(原野)取締官(Game Warden)が麻酔銃でクマを眠らせ、人里離れた森の奥へと移送する対応が取られる。Game Warden とは、多分日本にない職種で原野での密猟や法的違反者を取り締まる。警察官と同じ権限を持ち逮捕権があり、護身用に腰には常に45口径のウインチェスター・マグナムを携えている。それに、日本ではボランティアの猟友会が活躍しているようだがカナダでは猟友会のよう組織は一切お目にかかれない。) もともとクマは大変臆病な動物なのだ。人間の気配を感じると熊の方から去って行く、ただ、優れた嗅覚を持っており、がっしりとした体格とぎこちない歩き方にもかかわらず、走る、登る、泳ぐのが大変得意だ。ほとんどの熊は冬の間、巣穴で最大100日間も(12月〜 3月)冬眠すると言われている。
 ところで、カナダではクマ被害対策の一環としてベアドッグ(熊排除犬)を導入し成果を収めているそうだ。(日本でもすでに導入している?)ベアドッグの主な仕事は、クマを駆除するのではなく、人間の何倍も優れた臭覚でクマをいち早く察知し係官に知らせることや、クマが去った後でも、残された臭いからクマの移動ルートを追跡する。そして犬特有のマーキングで犬のテリトリーをクマに認識させ、クマの侵入防止に役立っているそうだ。 カナダと日本の熊騒動は、必ずしも同じには対処出来ないが、カナダではクマを駆除するのではなく、あくまでもクマの生息域と人の生活圏の分離に重点が置かれているようだ。冒頭で紹介したカナダBC州で襲撃したグリズリーベアの捜索が今も続いているようだが、その後の調査で学童を襲った該当のグリズリーベアは、手負いのグリズリーではなく、2匹の子熊を連れた母熊と判明した。だが、子熊が一緒ならカナダではますます駆除をするのが困難になりそうな気がする。一日も早くクマと人間社会にも平和が来ることを祈りたい。