お便り/11月号の未掲載分
あなたの知らない「ナイアガラ瀑布」
ジミー狩野(牧男)85歳 カナダ・トロント
皆さんは、ナイアガラ瀑布の水が完全にストップしてしまった日のことをご存知だろうか? 1848年3月29日(黒船来航の5年前)強風がエリー湖の氷原を動かし流氷がナイアガラ川の水路を完全に塞いでしまった。耳に馴染んだ滝の轟音が聞こえて来ない不気味な静寂に、教会へ走り、祈りを捧げた人も少なくなかったという。 ナイアガラの滝はアメリカ側にアメリカ滝(落石あり、水面まで落差57m、幅260m)とブライダルベール滝(落差15m、落石あり水面まで57m)、そしてカナダ側のカナダ滝(落差57m、幅670m、滝壺の深さ35m以上)から形成されている。カナダ滝は馬蹄 の滝(ホースシュー・フォールズ、Horseshoe Falls)と呼ばれている。ただ、中央部分の侵食が激しく、最近は馬蹄形ではなくV字型になっている。 ナイアガラの滝は昔からハネムーンの目的地として人気がある。1804年にナポレオンの弟(ジェローム)が花嫁とナイアガラの滝を新婚旅行で訪れて以来新婚旅行の目的地として人気が出た。ただ、当時はまだ交通網が発達していなかったので、ニューヨークから駅馬車を乗り継ぎ4日間もかけて(現在は飛行機でたった一時間弱)ナイアガラの滝へやって来たそうだ。また、英国のエリザベス女王も新婚旅行で訪れている。しかし、1953年に公開されたマリリン・モンロー主演の映画「ナイアガラ」で、一躍世界的に有名になった。ただし、ナイアガラの滝が本格的に観光地となったのは1812年の米英戦争が終わった後のことだが、ナイアガラ川はこの戦いの激戦地だった。 約1万2千年前、北米大陸の氷河が消えた頃に巨大な断層が出現した。英語では「断層」ではなく「ナイアガラ断崖」(Niagara Escarpment)と言う。ナイアガラ断崖で川が流れ落ちる場所が「ナイアガラの滝」(Niagara Falls)の名前の由来となっている。なお、「ナイアガラ・フォールズ」と英語で複数形になっているのは、アメリカ滝とブライダルベール滝、そしてカナダ滝を総称し複数形で「ナイアガラ瀑布」と呼んでいる。 ナイアガラ断崖はアメリカ・ニューヨーク州西部からカナダ・オンタリオ州南部を縦断し、ヒューロン湖北部の小さな島々に脊梁を形成し再度アメリカ合衆国へ続き、ミシガン州、ウィスコンシン州へと延びている。その長さはじつに約1,050kmにも達する。(日本なら本州を縦断してしまう距離だ。) トロント北部のジョージアン湾付近にはブルーマウンテンを始め至る所に有名なスキー場とリゾート施設が沢山ある。(すべてナイアガラ断崖の場所) また、この断崖を利用したアクティビティも盛んで、カナダ最長のハイキングコースもあり「ブルーストレイル」という。その距離はオンタリオ州内だけでも700kmもあり、標高の高いところで海抜約1,060メートルもある。 ところで、エリー湖からオンタリオ湖までの高低差は110m以上ある。(運河はパナマ式)なお、エリー湖はほぼ四国ぐらいの大きさで、オンタリオ湖は九州ぐらいの大きさだ。ナイアガラ川の長さは全長58kmある。 ナイアガラの滝の上流は川幅があるので流れは緩やかだ。しかし、ナイアガラの滝の下流は急流となり川岸に立つとその激流に恐怖さえ覚える。また、あまりの水量の多さに川の中央部は荒れ狂う激流が盛り上がって見え、その反動で両岸の流れは逆方向の上流へと向かって流れるじつに不思議な光景だ。 なお、ナイアガラの滝から下流へ4.5km行くと、ナイアガラ川が90度近く流れを変え水流が渦を巻いてるところがワールプール。ワールプールは悪魔の穴と呼ばれる巨大なすり鉢型(水深約91m)で夜間は極端に水量が減る。それは昼間に水を滝の方へ回し、夜は水力発電の方へ75%も水を回すために夜間の滝の水量は半分以下になる。 1950年にナイアガラの滝の上流にコントロールゲートが出来て滝に流れ落ちる水を調節して侵食を防いでいる。断層出現以来それまで年間1mづつ侵食されてきた滝は11kmも上流に侵食して行き、渓谷となって侵食された姿を現在に残している。なお、下流には巨大断層が発生した場所(クインストン地区)が確認できる。現在は水門で流れを調節しているので侵食が年間平均約3cmまでに収まっている。しかし、今日も侵食が続いているのだ。 ところで、ナイアガラ川の膨大な自然の水を水力発電に利用している。ナイアガラ川のずっと下流両側に発電所があり、夜はコントロールゲートで大量の水を引き込み、運河や地下トンネルで発電所の貯水池に水を溜めておき、それを水力発電に使っている。総発電量は4千4百万キロ・ワットになるが、これは100ワットの電球を2千4百万個に灯をともすことが出来る電力量だ。 さて、ワールプールのところにはナイアガラ川 (約1km)をまたぐスパニッシ・エアロカーが100年前から運行されている。最近名称が変わりワールプール・エアロカー(Whirlpool Aerocar)と呼ぶようだ。これから真下(60m)を覗くと激流のために起きる流れの渦巻きを見ることができる。とくに秋の紅葉シーズンは見事でおすすめスポットだ。 ナイアガラ川は釣りのスポットとしても知られている。ワールプールでは超巨大魚が釣れることでも有名だ。私はナイアガラ・パークコミッション(公園管理委員会)の依頼でプロモーション用の釣りの撮影を行ったことがある。とくに、観光客が一番多く集まるテーブルロックと称されるカナダ滝の流れ落ちる際(きわ)に立ち、滝底めがけて釣り竿を振り回した。これはおそらく歴史上私が唯一の人間ではなかろうか。その時は、大勢の観光客に取り囲まれ、数名のポリスと公園事務所関係者の立ち会いのもと、腰には太い安全ロープを巻き付けての撮影だった。その写真はナイアガラ公園管理事務所広報部の宣伝用写真に使用され、また日本の釣り雑誌「月刊フィッシング」(廣済堂出版)1991年9月号にも写真と記事が掲載された。 このナイアガラ・パーク・コミッション(ナイアガラ公園管理委員会)は1885年に設立された。ナイアガラ・パークコミッション(Naiagara Park Commision)では、ナイアガラの滝の観光収入だけでナイアガラ市の警察、学校や公共施設、公共の乗り物、インフラ事業など全て市の行政を行っている。ちなみに、数年前にトロントの日系人有志が発足した「トロント・サクラ委員会」の人たちの尽力で、ナイアガラ・パークと一緒にサクラ並木を整備中で桜の名所として完成しつつある。 ところで、ヨーロッパ人探検隊(ベルギー人宣教師)が最初にナイアガラの滝を発見したのは1678年だった。(伊達騒動の頃)クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を発見してから150年も後のことだ。ナイアガラ・フォールズの名前は、先住民がナイアガラの滝のことを「オンギァアラ」と言っていたのを「ナイアガラ」と探検隊が聞き間違えたのがそう呼ばれることになったという。 ご存知だろうか?「ナイアガラの滝は世界遺産には登録されていない。」これは侵食を抑えるために水量を人工的にコントロールしているからだそうだ。また、国境に位置している場合には、両国の申請手続きが必要なのだが、アメリカ側が申請しないので登録が困難で未だ申請には至っていない。 ナイアガラの滝から流れ落ちる水が滝底にぶつかる時のインパクトは、10階建ビルの屋上からコンクリートの塊を落とし、それが路面にぶつかる時と同じ衝撃と威力があり生身でカナダ滝から落ちるとまず助からない。しかし、ナイアガラの滝から落下し生還したラッキーな人達が3人いるという。その中で有名なのは1960年当時7歳だったロジャー・ウッドワード君だ。彼はメイド・オブ・ミスト観光船に幸運にも助けられたのだった。 しかし、2011年8月14日にトロント市内の語学学校に通っていた当時20歳の日本人女子学生の転落事故は本当に痛ましい事故だった。彼女は記念写真を撮って貰うために立ち入り禁止区域の柵をまたぎ、滝底からの強い上昇気流に煽られバランスを崩したという。転落の瞬間は警備カメラに全部録画されているというが遺体が見つかったのは10日後だった。しかし、ナイアガラ警察の報道規制が厳しく、スタントを除き自殺者や事故による転落死などの報道は一切禁止されている。私はこの日本人転落事故の報道はトロント総領事館と日本からのNHKニュースで知ったのだった。 なお、1901年に滝から樽に入り落下して無事生還出来た最初の人物はアニー・テイラーという女性で学校の先生をしていた。その後、樽などで落下した人は16人いたが11人が生還している。綱渡りではアメリカ側からカナダ側まで22名が成功しているそうだ。 ただ、1951年にある命知らずの人物がスタント中に転落死して以来、ナイアガラの滝でのスタントは違法となり最高25000米ドル(3,744,000円)の高額罰金が課せられるようになった。ちなみに、1850年に記録を取り始めてから現在まで、滝の麓やナイアガラ川から5000体以上の遺体を収容したとの報告もされている。ナイアガラの滝は観光の名所だけではなく、まさに自殺の名所でもあったのだ。