アーカイブ選『認知症がやってきた』

友だちが認知症になったら、どうしましょう!?
読者の貴重な体験談をご紹介いたします。

認知症がやってきた

執筆者 吉田千秋89 大阪府豊中市

シルバーネットの連載期間
2020年4月号~2021年2月号

⑴ 

 この物語りは、令和2年(2020年)2月21日から始まる。婆さんが、このUR団地に移り住んだのは19年前。婆さんは何故か、ここではお友達を作らないでおこう!と最初に思った。近くの公園で散歩中、顔見知りになった人々はいる。言葉を交わす人もいる。けれど、友と呼べる人は19年間でただ一人。その友も、お互いの住居内には、入れない入らない。暖かい日には公園で、暑い日、寒い日はマクドや喫茶店で会う。話題も、ちまたの高齢の女性たちのように、愚痴や人の噂話なんかはしない。彼女は75歳、共にボランティア好きだ。
 そんな婆さんが、○市の別の友に「泊まりに来たら?」と誘った。特別に親しいとも言えない友に…。しかも、終活の一環として羽毛布団2枚を孫娘にあげたばかりで、大急ぎで羽毛布団を買いに行った、枕も。食器類は百均で揃え、お袋の味を食べさせてやりたくて、しこたま買い物をした。
 21日、午前11時半に、阪急曽根駅での待ち合わせ。前日も、当日の朝も、彼女に電話をかけて確認した。それなのに2時間待っても現れない。駅員さんからはジロジロ見られる。白髪の婆さんが歩行器と共に待っているのだから…。

⑵ 

 彼女は73歳の独身者、元小学校の先生の肩書きを持つ。頑固に携帯を持たない。彼女のマンションに電話をかけた。電話口に彼女が…。「何しているの?」と問えば、「今日は地区のゴミ出しの日」と答えた。そんなことは前から分かっていたはずだ、と婆さん(自分)は思った。
 午後1時に今度は駅で待ち合わせた。2時間以上待っても来ない。マンションに電話をかけても不在。事故に遭ったのかな?と、婆さんは何度も何度もマンションに電話をかけた。連絡がついたのは夜の7時過ぎ。「どうしたの?」と問えば、泣き声で「服部天神駅を出て、歩いていて道に迷った」と…。何か変? 婆さんは思った。婆さんの主治医の診察を受けさせようと。それが、そもそもの過ち…。
 翌22日、彼女が住む○市に婆さんが迎えに行くことに。婆さんは当日の朝、5時起きした。朝食も取らずに阪急と阪神電車を乗り継いで○市の駅へ。彼女とホームで待ち合わせて、また電車を乗り継いで私の住む阪急曽根駅へ。22日は土曜日、医院は午前中で終わる。荷物を家に置いて、急いで医院に向かう。お医者さまの診察、認知テストも受けた。その結果は…。

⑶ 

 結果は、認知症の診断。それも軽くは無いようだ。
「私の家に泊めて通院させましょうか?」と婆さんは尋ねた。これが2つ目の間違い。
「吉田さんの躰で無理では?」と先生は最初におっしゃった。先生は彼女の認知症が重いので、婆さんの家からの通院を渋々認められた様子だった。
 彼女には「必ず健康保険証と介護保険証を持って来るように」と何度も念を押していたが、両方持って来ていなかった。仕方なく24日にまた、○市の彼女のマンションへ向かう。到着して最初に目に入ったのが、玄関入口の横に転がる数本の牛乳瓶。中にミルクが入っている。ドアを彼女が開けると、両脇に古新聞の山、山、山が続く。リビングのテーブルの上も、床一面にも古新聞の山、山、山が…。ペットボトルの入った大きなゴミ袋も転がっている。食べ残しの物がテーブルの上に散らばっている。寝室のベッドの上も同じような感じ。ここにもミルクの入った牛乳瓶が数本。異臭が部屋中に漂っていた。
 健康保険証と介護保険証を探し続けたが、見つからない。仕方なく帰ることに。途中、梅田のデパ地下で夕食用の弁当を買うことにしたが、彼女はチョロチョロ一人で歩き回る。婆さんは歩行器を押して、混雑する人の波の間を縫って捜す。認知症の人に怒鳴ってはいけない…、婆さんも本を読んで少しは心得ている。しかし、たやすいものでは無いことを知った。彼女の場合、正常な時もあり、お金の計算や買い物もできた。しかし、遅かった。

 時折、元小学校の教師が顔を出した。電車の車内で子どもを見かけると、彼女は話しかける。子どもは困った顔をする。しかし逃げる術を知らない。連れの祖母らしき人は無言、他人のようだった。しばらくして、祖母らしき人は立ち上がり、無言で車内の前方へ移動。子どもも彼女から逃れるように、祖母の後を追った。自分が嫌がられていると気づかない。
 婆さんは翌日、彼女の住む○市の市役所に電話をした。健康保険証と介護保険証の再発行のためで、本人が認知症だと告げた。どこの市町村でも同じ様だが、再発行にはかなりの日々を要するようなので、婆さんはある方法を取った。取ったというより口にした。すると翌日、再発行された。その方法は内緒。ご自分で考えて欲しい。
 翌26日、再び彼女を伴って○市の市役所に行き、健康保険証と介護保険証の再発行を受けた。長時間待つことも無く、番号札を取って順に窓口で受け取った。もちろん、本人確認の証明が必要。代理人の時は、本人確認のできる物、代理人の確認の証明になる物が要る。これは健康保険証、介護保険証、運転免許証のうち2つが必要。婆さんの場合、本人(彼女)を連れて行き、パスポートを持参していたので良かったのだ。
 この時も「ここに居て、動いたらダメよ」と言っても動き出す。婆さんはトイレにも行けない。動いたら元の場所に戻れない。婆さんはつい、声を荒げる。
 その日は○市の包括支援センターの方にも会った。そして3人で彼女のマンションへ。玄関のドアを開けたところで、担当者が思わず「ゴミ屋敷」と口にすると、彼女は「違います。片付けていないだけ」と答える。こんな時はプライドが顔を出す。担当者は彼女に断ってから、ゴミの山をスマホで次々撮っていた。

 次に成年後見等支援センターへ向かった。包括の担当者は自転車で、婆さんたちはタクシーで…。彼女が独身で親族とも疎遠になっているため、お金の管理その他ができないからだ。後見人が決まるまでも、簡単では無い。医師の診断書、その他、諸々の書類が必要。そして決まるまでに、数カ月がかかる。
 婆さんの主治医が無理をして、中津の済生会病院に予約を取ってくださった。それなのに、○市の担当者が医師に直接電話をして「今後の手続きの関係もあるので、○市で受診させる」と断った。それ故、婆さんの主治医はおかんむり。夕方、彼女を伴って主治医のところへ行くと、いつも笑顔の先生がニコリともしない。ここで婆さんは、3つ目のあやまちをしたことになる。親切って難しい。親切心で彼女を呼んだことが、次々と他人様に御迷惑をかけることになった。親切とはホントに難しい。
 婆さんは○市の包括支援センターの担当者に頼んだ。「中津の済生会病院で診察を受けさせたい」と告げた。そのことはOKされたが、「我々が彼女を連れて行くことはできない」と答えた。お役所の壁だ。担当者と電話中、婆さんはガチャンと電話を切った。再度電話を入れて、市長室に繋ぐように交換手に頼む。取り次ぐわけが無いことを知りながら…。交換手は婆さんに要件を尋ねた。婆さんは要件の内容を話した。この時にも強硬な奥の手を口にする。これも内緒。ご自分達で考えて欲しい。それぞれに智恵があるのだからね…。
 “をかむ”のことわざがある。ネズミも追い詰められたらネコを噛むのだ。人間がネズミに負けたら恥ずかしいではないか。人間の知恵は勉強の時だけに使うのでは無い。お金儲けの時だけに使うものでも無い。自分を護るのは自分しか無いのだからね…。この世でできないことは、死人を生き返らせること。これは神さまとて不可能に思える。

 豊中市の婆さんのマンションに、○市の担当者たちが飛んで来た。高齢介護課の部長が婆さんに電話で謝った。マンションには包括支援センターの担当者と高齢介護課包括担当の係長とその部下の3人が来た。
 彼女は教師として定年まで○市で働いたのだ。扶養する家族がいないから、沢山の税金を納めた。その市民が困ったからと助けを求めている。それなのに役所の壁、役所の壁と言うのはおかしい!
 婆さんはいつも思う。人間の為に人間が決めた壁や法律だ。いつも破れとは言わない。しかし、裁判でも情状酌量があるではないか! 時と場合により、役所の柵を少し取り除く配慮があっても良いのではないだろうか? 彼女は○市の人たちが来ている時は正常だった。だから余計にややこしい。婆さんの説明で担当者たちも納得した。
 事は早く進む。土日を挟んだからで、4日後には彼女の入居する有料老人ホームの見学の運びとなる。その日はおひな祭りの日だった。婆さんは彼女を伴って、タクシーで老人ホームに向かった。

 見学したのは病院が母体の、介護付き高級有料老人ホームだ。長い廊下の左右に部屋が続く。入口の名札は名前ではなく、各自の好きな写真が入れられている。ロビーも広々としている。部屋にはトイレと洗面台、ベッドと布団。椅子や机は無かったが、入居者が自分好みの物を持ってくるのだと後で知った。さすが高級老人ホームだ。
 風呂は共同だが、広々として明るく清潔。車椅子のまんまで入る大きな浴槽もあった。食事はホームの厨房で全て作られる。エプロンを着けた職員さんからも笑顔で挨拶される。婆さんは共用のトイレに行った。歩行器を離して、手を後で組ながら歩いてみた。床の感触が足に優しい。歩行器が無くてもトイレまで歩けた。この床なら転んでも痛くなさそうだ。
 ホームの責任者からも話しを聞いた。やはり母体が病院、細やかな所まで配慮されていると婆さんは感心した。しっかりしたホームだから、入居時の書類も多い。保証人も要る。頭金は不要だが、かなり高いように思えた。部屋は普通のマンション並に上の階になるほど室料は上がる。そして、入浴料○円、洗濯料○円と加算されていく。食費の4万8000円は高くないと思えた。

 タクシーで帰途につく。スーパーで桃の花、ちらし寿司、お吸い物のハマグリも…。それなのに、彼女のある行動で婆さんの怒りが破裂した。食事をしながら正常な時の彼女と穏やかに会話をしていた時だった、急に彼女が椅子から立ち上がり、後ろや下を見ている。「どうしたの?」と問えば「お尻が冷たい」と。なんと、オシッコをしたのだ。漏らしたのでは無く、気付かずに放尿したのだ。慌てて紙パンツを穿かす。この紙パンツはもしもの時の為、自分用に用意していたもの。思わぬところで役に立った。本人も余程ショックだったのか、翌朝は早く起きていた。
 彼女は外が好きだ。戸外に出るとニコニコと笑顔が全開する。まるで人が変わったようだ。でも付き添う婆さんは大変、目が離せないから。勝手にウロウロ歩き回る。最後に大声で怒鳴りつけることになる。睡眠薬で眠らせたいとさえ思った。
 施設の職員が入居者に暴力を振るったと、マスコミがよく報じている。確かに暴力はいけないが、安い報酬で認知症の人を寝かしつけて、自分も仮眠しようとした時に再び起きだしてきたら、暴力もふるいたくなるだろう。婆さんはいつも思う、「マスコミの報道は片面からだけの報道が多い」と…。

 4日目は、彼女を伴って銀行へ向かった。銀行印がどれだか分からない。キャッシュカードが2枚あるが、暗証番号を覚えていない。カードが2枚あるのに通帳は1冊しか無い。銀行は機械化で窓口が少ない。その上、窓口には椅子が無い。高齢者があっちへ行ったりとウロウロしている。お客様あっての銀行だと思うのだが…?
 最初に彼女が認知症だと告げた。しかし銀行員は信じていない様子だった。彼女に話しかける。その内、彼女のおかしさに気付いた。住所を書く欄に、昔の自分の家の住所を書く。曜日も日にちも分からない。結局、2時間以上も要し、婆さんは緊張の連続でヘトヘト。
 彼女はどんなに叱られても、テーブルに料理が並ぶとニコニコする。そのことを言うと「だって、これしか楽しみが無いもの」と…。食欲は旺盛、モリモリと食べる。作り手の婆さんは緊張の連続で、食欲がゼロなのに。
 6日目、老人ホームへ入居する日の朝、なんと「家に帰る、ホームに入りたくない」と言い出す。皆が彼女のために智恵と力を出し合い、入居までこぎ着けたのに! 婆さんの頭は爆発寸前だった。我慢、我慢、婆さんは自分を律した。もうダウン寸前…。

 どうにかなだめて、タクシーで老人ホームへ向かう。窓の外の遠くに山々が立ち並ぶ。青空には白い雲。彼女に教えると、喜んで見ている。ホームに到着して残りの手続きを終えると、彼女は支援センターの担当者と自宅マンションへ当座必要な物を取りに行った。
 婆さんは一人となり、タクシーで自宅へ。ダウン寸前、メチャメチャに疲れてはいたが、ベッドインすると、二度と起き上がれないように思った。そこで、彼女のことでお世話になった、それぞれの人たちに礼状を書いた。その数8通。婆さんは○市の人々を怒鳴りつけた。しかし、怒鳴りつけるだけで終わってはならないと思う。これが婆さんのやり方だ。だから今までも反感を買ったことが無い。むしろ人脈ができることの方が多い。
 夕方、婆さんは主治医の所へフラフラの体で歩行器にすがりついて行った。受付の人も看護師さんも、ねぎらいの言葉で婆さんを迎え入れてくださった。よろめく足取りで診察室に…。先生にお詫びと、お礼を述べて頭を下げ、そして椅子に座った。
 すると先生は、とろけるような温かい眼差しを婆さんに向けて「最初から無理だと言ったのに…。ダメだと言ったのに」と、おっしゃった。そして「吉田さんの優しさだよね」との言葉を添えられた。極度の緊張の連続で胃が働きを停止していた。お医者さまはとても丁寧に、聴診器でみてくださった。そして点滴をしてもらった。

 なぜ婆さんが途中で投げ出さなかったか、お分かりだろうか? 悪意のない外野は、「それご覧!初めから分かってるやん!」と口にする。また、途中で死んだら犬死になる。そして又しても悪意のない外野は、声高らかにあざ笑うだろう。
 婆さんは犬死にしなかった。そして多くを学んだ。軽い気持ちで「泊まりに来たら?」と彼女を誘った。その親切?が、大好きなお医者さまにご迷惑をかけた。また○市の担当者の方々や包括支援センターの担当者にも数々のお世話に預かった。たとえそれが彼女のためと言えども…。
 親切は難しい。婆さんはしみじみと感じた。でもマイナスばかりでは無い。認知症の一部分だけれども、学ぶことが多かった。決して無駄では無かったように思う。今こうして、おばあさんの作文に書いて、愛読者?の方々のチョッピリでもお役に立つのでは無いだろうか?

《余話》 

 認知症の彼女との暮らしは、半月に及んだ。彼女がホームへ入居してからも、毎日手紙を出している。彼女が寂しがらないように…。
 認知症の彼女との暮らしの中で私を支えてくれたのは、ラジカセから流れる音楽と部屋に飾った花たち。テーブルの上に飾るベルギー製の花瓶を求めた。これは自分へのご褒美。