お便り/9月号の未掲載分
墓地なのに ガンの親子が 道案内 ― 憩いの園という名の墓地 ―
ジミー狩野(牧男)85歳 カナダ・トロント
春の朝、朝露をまとった芝生の上を、一頭の鹿がゆっくりと歩いていました。 少し離れた木の幹では、リスたちが忙しそうに駆け上がり、また別の木へと飛び移ります。草むらからは一羽のウサギが顔をのぞかせ、何事もなかったように草を食んでいます。やがて空からは「ガァ、ガァ」という賑やかな鳴き声が聞こえ、何十羽ものカナダガンが大きく翼を広げて舞い降りました。 春になると、この場所には毎年たくさんのカナダガンが飛来します。親鳥は芝生の片隅に巣を作り、小さな黄色い雛たちは親の後を一列になって歩いていきます。その愛らしい姿を見守る人々の表情も自然とほころび、まるで自然公園を散策しているような穏やかな時間が流れます。 じつは、ここは公園ではありません。 トロントにあるハイランド・メモリアル・ガーデンという墓地なのです。 「墓地」と聞くと、多くの日本人は墓石が並び、静まり返った、どこか近寄りがたい場所を思い浮かべるのではないでしょうか。私も長い間、そんなイメージを抱いていました。
ところが、このハイランド・メモリアル・ガーデンを初めて訪れたとき、その印象は見事に覆されました。 広々とした芝生がどこまでも続き、大きな木々が木陰をつくり、小鳥たちがさえずっています。季節ごとに花が咲き、青空の下を風がゆっくりと吹き抜けていきます。見渡しても墓石が林立する圧迫感はなく、誰もが思い思いに散策できる、静かで明るい空間が広がっています。
その広大な敷地の一角に、日系人共同墓地「憩いの園」があります。 ここの墓地には日本でよく見かけるような墓石はありません。一人ひとりの眠る場所には、地面とほぼ同じ高さに銅板のプレートが埋め込まれています。そこには名前、生年月日、命日、そして家族が選んだ短い言葉が静かに刻まれているだけです。 芝生の美しさを損なわず、自然と一体になったその風景には、お墓特有の重苦しさがありません。遠くから眺めれば、そこに多くの人が眠っていることさえ忘れてしまうほどです。
「憩いの園」という名前は、この場所を訪れて初めて、その意味がわかる気がしました。 ここは亡くなった人のためだけの場所ではありません。 家族が訪れ、語り合い、季節の移ろいを感じながら静かに時を過ごす場所でもあります。そして人だけではなく、野生動物たちにとっても安らぎの場所なのです。 朝には鹿が静かに芝生を歩き、リスは木々の間を元気よく駆け回ります。ウサギは陽だまりで草を食み、小鳥たちは枝先でさえずります。 そして春になると、数多くのカナダガンが戻ってきます。 親鳥は卵を温め、やがて生まれた雛たちは親の後を一列になって歩き始めます。ふわふわした黄色い体を揺らしながら芝生を横切る姿は、訪れる人々の心を和ませます。 その光景を眺めていると、「墓地」という言葉はいつしか頭の中から消えてしまいます。
ここには「死」があるというより、「命」があります。 四十年ほど前、私たち夫婦は、この「憩いの園」に六人分の区画を購入しました。当時は将来への備えという程度の気持ちで、まさか四十年後にこんな思いでこの場所を歩くことになるとは想像もしていませんでした。 今ではトロント周辺の地価は大きく上がり、一人分の区画を求めることさえ容易ではないと聞きます。時代は変わり、街も大きく変わりました。それでも、この場所だけは昔と変わらず、春には芝生が青くなり、秋には木々が色づき、冬には静かな雪景色に包まれます。そして季節が巡れば、またカナダガンたちが帰ってきます。
