お便り/10月号の未掲載分

「国家の夢」前編  ー鉄路に刻まれたカナダという国ー

ジミー狩野(牧男)85歳  カナダ・トロント

 その夢は、地図の上に一本の線を引くことから始まった。東から西へ。果てしなく広がる大地を貫く、見えない線。それは単なる大陸を結ぶ横断鉄道ではなかった。カナダという国を一つにするという壮大な夢、そのものだった。
 カナダという国は、地図の上では一つに見える。しかし、その広大さは単なる国土の広がりではなく、もともとは分断された地域の集合体に過ぎなかった。東部と西部は遠く隔たり、文化も経済も互いに独立した存在に近かったのである。この国を真に「一つの国家」として成立させるために必要だったのは、理念だけではなかった。物理的な結びつき、すなわち「線」が求められていたのだ。
  1867年の建国後、カナダが直面した最大の課題は統合であった。特に西部は脆弱で、南のアメリカ合衆国の影響力が強まり続ける中、この地域を自国の枠内に留めることは決して容易ではなかった。そこで掲げられたのが、大陸を横断する鉄道建設という壮大な構想である。これが後に「The National Dream」(国家の夢)と呼ばれることになる。
 鉄道は単なる交通手段ではなかった。それは国家の意思そのものであり、「つながること」への強い意志の象徴であった。点在する土地を一本の線で結ぶことにより、地理的な距離を克服し、心理的な一体感を生み出そうとしたのである。この計画は、理想としては極めて魅力的であったが、現実には想像を絶する困難を伴っていた。
 建設現場は過酷を極めた。ロッキー山脈という険しい山岳地帯、広大な森林、凍てつく気候。自然は人間の挑戦に対して容赦なく立ちはだかる。そうした中で工事を支えたのは、多くの移民労働者たちであった。とりわけ中国から渡ってきた労働者たちは、危険な作業に従事しながらも、低賃金と差別的な待遇に耐えなければならなかった。爆破作業や事故によって命を落とした者も少なくないが、その多くは歴史の表舞台に名前を残すことはなかった。
 ここに「国家の夢」が抱える矛盾がある。鉄道は確かに国を一つにした。しかしその実現は、無数の犠牲の上に成り立っていたのである。完成の瞬間は祝福され、最後のレールが打ち込まれた出来事は国家的偉業として語り継がれている。一方で、その陰にあった苦難や不平等は、長い間十分に語られてこなかった。
 1885年、カナダ太平洋鉄道はついに完成する。これにより東西は結ばれ、カナダは名実ともに一つの国家としての形を獲得した。人や物資の移動は飛躍的に活発化し、西部開拓も急速に進展する。鉄道は国家の発展を支える基盤となり、今日に至るまで重要な役割を担い続けている。
 しかし、鉄道がもたらしたのは発展だけではない。先住民の生活は大きく変化し、土地との関係性も揺らいでいった。外部からの人口流入は地域社会に新たな活力を与える一方で、従来の価値観や生活様式を押し流す力ともなった。つまり、「つながること」は常に何かを得ると同時に、何かを失う過程でもあったのである。
 現代のカナダは、多様文化主義を掲げる国家として知られている。その背景には、異なるものを無理に同化させるのではなく、違いを保ちながら共存するという選択がある。この価値観は、鉄道によって地理的に結ばれた経験と無関係ではないと思う。広大な国土を持つこの国は、「一つになる」ことの難しさと可能性の両方を歴史の中で学んできたのである。
 「国家の夢」(The National Dream)とは、単なる成功物語ではない。それは理想と現実、希望と犠牲が交錯する複雑な歴史の象徴である。鉄路は今もなお存在し、人々の生活を支え続けている。しかしその線の下には、見えない記憶が確かに刻まれている。
 国家とは何によって成り立つのか。つながることは、本当にすべての人にとって幸福なのか。この問いに対する答えは一つではない。だが、少なくとも言えるのは、カナダという国が「選び続けてきた結果」として今ここにあるということである。そしてその選択の象徴こそが、あの一本の鉄路――「国家をかけた夢」(The National Dream)なのである。

(後編へつづく)